About
My name is Ryo Ozono
氏名 大薗 了
所属 渋谷本店
入社 1998年 新卒入社
趣味 麻雀 競馬 接客

My
Story
Get to Know Me
<TMLでのキャリア>
TML有楽町西武店に内定バイト〜本配属
TML原宿店へ異動(有楽町で大クレームを出し出禁認定される)
TML丸の内店(原宿店クローズ後渋谷店オープン予定のタイミングで、丸の内に異動)
TML渋谷店(丸の内店で、理不尽なくらい厳しい上司になり、いろいろと上手くいかなくて、渋谷に異動、当時の上司に俺が引導を渡すと言われて、なぜか一月休み無しで毎朝出勤し、掃除機をかけた)
退社(初心に戻ったことにより、良いお客様に恵まれ、一販売員としてのピークを迎える
その際、社長に出会いリクルートされる)
TML渋谷店(1年間、金融業、主に動産系の職や秘書を経験するも、天職はサービス業なのでは無いかと気付き、出戻り
取得した宅建の資格は未だ使い道が無い)
TML銀座店(晩年に店長を任されるも、4年間の営業で閉店となった
閉店作業は、いろいろな感情が生まれた)
TML丸の内店(逆境の銀座店を経験したことにより、会社に貢献できることは何か?を深く追求する人材になることを決意する)
TML渋谷店(コロナ禍になり、決意も忘れかけた頃に、異動のお話をいただき、ありがたく頂戴する)
<質疑応答 聞き手:大薗>
入社以後、順風満帆でしたか?
→いえ、クレームを毎回起こしてしまい、礒谷さんや他の方に呼び出されたり、百貨店を出禁になるくらい、問題がありすぎるスタッフの1人だったかと思われます
理不尽なくらい厳しい上司とは?
→当時の丸の内店は丸ビルオープンの影響で、ものすごい数のお客様が来店されました
その中で、販売できないスタッフの気持ちが分からず、正しいことを言い続けて、周りのスタッフを傷つけていきましたが、それに気づかないまま、生きていました
今思えば、当時のスタッフには申し訳ないことをしたと心に残しておいてます
それで、どうされたのですか?
→四面楚歌状態になり、仕事がつまらなくなり、気持ちが上がらないまま、日々を過ごしていたところ、当時の上司に、辞めさせるかどうかの瀬戸際だから、俺の目の届くところで判断すると言われ、渋谷店に異動になりました
一日も休みが無かったのはなぜですか?
→よくわからないですが、お前休み無しで一から出直せと言われました
よくわからないまま、無休で閉店後掃除機をかけ、日中は販売だけに集中しました
3週間経過後、肋骨にヒビが入ったと報告をしたのですが、「おう」だけ言われたので、そのまま出勤を続けました
そろそろ意味がわからないのですが?
→当時は、精神状態はまともでは無かったのと、売られた喧嘩は買わなければならないという意地の張り合いだったかと思われます
今思えば荒療治してくれて、愛情をかけてくださったのだと
現代においては、このようなことは通用しないことですが、やるしか無い状況をつくり出してくれたのは、結果的に良いことだったと、今でも思ってますよ
その後、退社されていますね?
→販売員としてピークを迎えたので、良いお客様に多く出会えました
その時の1人が、前の会社の社長です
30歳くらいの血気盛んな時期だったのと、この会社で学ぶことはもう無いと判断をして、新たなステップを踏む時だと思ってましたね
視野が狭いということは、後から学んだことなので、当時はそこまで深く考えていなかったのでしょう
何の仕事をしたのですか?
→今でいうベンチャー企業だったので、営業から雑務、経理まで、ありとあらゆる仕事をしました
なんせ社員は、社長と私の2人だったので、秘書も兼ねてました
関連企業が同フロアにいて、社長が同じ人で、
仕事仲間もいたので、そこまで大変では無かったですね
セレブな生活も体験しましたよ
移動は全てタクシー(会社のお金)、宿泊はファイブスターホテル(秘書なので、同室)しかないし、虎ノ門に住んだこともあります
世界の富豪や日本の有名経営者と何人も会ったこともあります
宅建を持っている?
→海外物件を扱う会社だったので、国内での資格も必要になるであろうということで、試験受けましたね
合格発表の日に、退社することを社長に伝えました
海外物件??
→日本の超富裕層に不動産を販売する仕事が主の仕事でした
ミニマムが2億とかなので、お金の価値判断は洋服屋とは比べものにならなかったです
なので、出戻り後は特に、販売額の多さや、単価が高いものに対しても、ドキドキするとかは全く無いですね
また、「億単位するものは、即決は流石に難しいけど、数百万は即決できるよね」と社長に言われたので、数百万という数字を見てもビビらなくなりました
富裕層思考を知り、彼等がどういう行動をしなければならないかも知り得たのは、良い経験になりましたね
なぜ出戻りを決意したのですか?
→TMLを退社した理由の一つに、サービス業を極めたいという気持ちがあったことも事実です
販売をするということは、金額どうこうでは無く、どこに行っても変わらないと思っていましたね
ところが、金融業というのは、ホスピタリティよりもお金が増えるということが優先されます
お金の話ができなければ、どんなに笑顔が良くたって、見向きもされません
億ってそういう世界ですね
その先には、もちろんホスピタリティはあった方が良いに越したことは無いですよ
その世界で勉強をしつつ仕事をしていき、数年後に独立して経営者になる、という人生計画が自分には合わないなという判断で、やっぱりサービス業やりたいなということで、TMLでまたお世話になることになりました
出戻り後の仕事感に変化はありましたか?
→そうですね、まず思ったのは、個人のみの結果では、店長などのリーダーには敵わないということでしょうか
??
→組織を率いることは、個人の集合を束ねる力があるわけですから、一個人の力だけでは限界があるってことですね
この辺は、数年前にメールした記憶があるので、そちらを探してみてください
あのー、長すぎじゃないですか?
→今年で50になるのに、自己紹介が2行で終わるわけねーだろっっw
最後まで飽きさせずに、いかに読ませるかが最重要事項なので、ふざけた形態をとりましたが、手段の一つということで、ご理解ください
では、改めて、接客で最も大事にしていることは何ですか?
→そうですね、30歳前くらいですかね、あんまりはっきり覚えてないけど、当時の上司に、
「究極の接客は客の好みに合わせて、販売することだよね、御用聞きに行き着くよな」と言われ、なんでも言うことを聞いていた当時ですが、そこだけは反論したことを覚えています
今思えば、その反論が自分のアイデンティティなのかもしれません
私には、“この服をこういう風に着て欲しい”があるから、“その服がどういう想いでつくられたのか、買付されたのか、どう着なければならないのか”がとても重要です
それを感じることも惜しまないし、わからなければすぐ聞いちゃうし、聞いて納得すれば、
それを自分の言葉に置き換えて、発言することを練習します
それは勉強でも努力でもなんでもないことです
テクニック的なことというよりは、
人の想いを自分の想いにのせて伝える
ことだけを考えて生きているかもしれないです
感情的なところはそこなのですが、それだけではなく、ここにビジネスや利益というワードも絡んできて、販売できなければ、その想いが邪魔であるということも理解はしていますよ
まぁ、複雑ですよね
今後はどのように、会社に貢献しますか?
→販売員生活も折り返しを過ぎ、晩年に向かいつつあるので、自分の弟子のような存在が欲しいですね、相伝したい欲求があります
なので、接客するのに悩んでるとか、ジャンプアップするきっかけが欲しいとか、トップセールス目指したいとか、何でもいいので、まずは出会わないとね
なんですが、ただ挨拶されても、ニコってして終わりなくらい人見知りスキル発動させるので、準備をして、覚悟を持って、話しかけてください
文字でも対面でも大丈夫
良い準備をしてくれた方には、ちゃんとその分お返しします
みなさんに、お会いできることを楽しみにしています